「妻(女性)の話が長く感じるのはなぜか」
参加者の男性から質問があった。
「それはあなたが聴き手に徹していないから。聴いているフリをして、頭の中では自分が主役だから」
これにまた心の中で大きく頷いた。
先月のバンコクで【聴きプロ】を名乗る方々に出逢った。友人に勧められ、2時間のセミナーに参加した。[聴く]とは何なのか、[聴ける人]になるにはどうすれば良いのか、興味深い話が聞けた。
[話を聴く]というのは、一旦自分の頭の中を空っぽにして相手の話[浴びる]ことだ。
相手の話が終わらない内に、自分の主張を脳内で構築したり、別のことを次々に思いつく。「ナルホド」なんて言いながら、実際は話半分。
自分によくありがちだ。
限られた時間で一言でも多く、話がしたい。聞いてもらいたい。相手も同じだ。しかし自分が[聴く]ことは忘れがち。
受け手不在の会話は、何時間続けても終わらない。煮え切らない気持ちと疲労感だけが残る。
SNSの中ではどうか。存分に自分の主張を書き連ねることが出来る。誰の負担にもなっていない?いや、何より「自分」の負担になっている。独り言のふりをしても、誰かが自分の言葉を受け止めてくれないかと、淡い期待がある。人の心に届く文章を書くにはそれなりの技術もいる。主張の技術を磨くことに一生懸命で、誰かの話を聴くことは後回しになる。リツイート(拡散)機能や"いいね"(共感)ボタンも結局、他人の言葉を借りて自己主張しているのとなんら変わらない。
一方、自分では何も書かず、直接会った時に「見たよー」という人もいる。そんな稀有な存在に救われる人は意外と多いのかもしれない。
『話す技術ばかり習得し、聴く術を知らない、最近そんな人が多い』
『聴く人がいればクレーマーは生まれない』
『「そうなんだ」とただ聴く。それだけで人は結構満足する。共感すら不要』
セミナー後、個別に話を聴いてもらう時間が設けられていた。私は都合上不参加だったが、【聴きプロ】に話を聞いてもらった方々は、かなり充実した時間を得られたようだ。
【聴きプロ】とまではいかないが、割と上手に[聴ける]人が身近にいた。
私が、今日の出来事を延々と話す。ご飯を食べながら「へー」と聴く。「へー」の後に、「わかるぅ〜」と言う共感句はない。「それってつまり…」と諭されることもない。ただ聴いている。いつも同じ。言わずもがな、我が夫である。
彼の意外な才能に気がついてしまった。
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